ロータリーとは?

国際ロータリー

1905年2月23日、青年弁護士ポ-ル・P・ハリスが3人の友人とシカゴにて第1回の会合を開き、ロータリークラブが誕生しました。ロータリーとは、集会を各会員の事務所で順番に持ち回りで開いたことから名づけられました。今日では世界各国に広められ、これらのクラブをメンバーとして国際ロータリーが構成されています。当クラブはベテランの会員も活躍されていますが、一方では入会3年以内の新しい会員が33名も存在する活気あふれるクラブであります。今期は経験不足の会長である私が率先して新しい会員と共にロータリーの歴史と精神を学び、当クラブの発展の一翼を担える人材育成を中心にし、具体的には「今期の奉仕計画」に沿った運営を1年間かけて実行してまいる所存であります。

日本のロータリー

1920年(大正9年)10月20日、当時三井銀行の重役であった米山梅吉氏が日本で初めて東京ロータリークラブを設立し、翌1921年4月1日世界で855番目のクラブとして国際ロータリーへの加盟が承認されました。その後、第二次世界大戦のため、脱退を余儀なくされたものの、戦後国際ロータリーに加盟するや目覚ましい発展を遂げ、今日では北は北海道から南は沖縄まで津々浦々に至るまでクラブがあり、専門職業人である会員が「超我の奉仕」をモットーとして、貧困・飢餓、国際親善、識字学向上、青少年育成、環境など多くの奉仕プログラムを提供しています。

バナー解説

慶長2 (1597) 年に福原直高が平地の典型的な豊後国最初の城を当時は府内といわれた大分に築き、荷揚城と称していましたが、慶長6年、竹中重利が城主となり、肥後の加藤清正に請うた石壁師が石垣を組み、天守閣や多くの櫓を築くと同時に城下町の体裁を整え町家を移しましたので、城は現在の大分市の中央部に位置することとなりました。

そして竹中重利は荷揚城を府内城と改称したのですが、別名を白雉城とも呼称しました。

クラブバナーは、昔日の美しい面影を残しているこの府内城の西南角の櫓を主体に、大分市荷揚町在住の後藤騎一郎Designer(多摩美術大・大学院卒)がアレンジしたもので御座居ます。大分中央RCのシンボルとして選んだ次第です。flag

Banner of the Oita Chuo Rotary Club

In the 2nd year of Keicho, or 1597 A.D., the then lord of the Province of Bungo (today’s Oita Prefecture), Naotaka Fukuhara, opened his castle in Oita city, known then as Funai. Called Niage-jo, it was the first flatland type in Bungo.After being inaugurated as the succeeding lord in the 6th year of Keicho, Sigetoshi Takenaka has skilled stone-workers, sent by the lord of the Province of Higo (today’s Kumamoto), Kiyomasa Kato, build stone-walls around the castle ground. A donjon (rising central building) and a number of turrets were constructed on the ground as well as merchant’s houses surrounding it. All these made Funai a typical castle town, with the castle at the center of the city. Lord Takenaka changed the name of the castle from Niage-jo to Funai-jo. Whereas it was commonly known also as Hakuchi-jo (or the Castle of the White Pheasant).

The Oita Chuo Rotary Club banner, designed by Mr. Kiichiro Goto, who graduated from and did his postgraduate work at the Tama Fine Arts Academy, and who lives close to the castle, shows a turret standing at the south-western corner of the castle site. It is reminiscent of the past beauty of the Funai Castle.